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企業文化=ミームは、空気のように組織内に広がっていきますが、それは決して偶然に発生するものではありません。
ミームには必ず、その文化が合理的だった背景が存在するのです。

その最たる要因が、事業モデルです。
組織がどういう市場で、どんな顧客に対して、どんな提供価値を届けているか——
その構造が、ふるまいや判断のパターンを規定し、ミームを形づくります。

今回は、かつての成功を支えた事業構造と文化が、環境の変化に対応できなくなったある企業の事例を紹介します。

創業者のセンスがそのまま企業文化になった時代

この企業は創業当初、特定の業界大手を相手に、大型設備を納入するB2B型ビジネスを展開していました。
顧客数は少数ながら、1件あたりの取引額が非常に大きく、プロジェクトも長期的

こうした事業では、全体最適の視点と一貫した判断が求められます。
その役割を担っていたのが、カリスマ的な創業者でした。

彼は豊かな事業センスと直感的な意思決定力を持ち、
「これをやる」と言えば新しい設備が導入され、「これが売れる」と言えば製品が生まれ、
組織全体が一気に動き出す——そんな文化が自然と育っていきました。

このとき定着した文化的ミームは、たとえばこんなものです:

「トップの意志が最重要」

「指示があれば一気に進め」

「現場の声より経営の直感」

「挑戦すれば評価される」

こうしたミームは、当時の事業構造と完全に整合しており、合理的だったのです。

事業構造の変化と変わるべきだった企業文化

時代が進み、企業は新たな成長フェーズに入りました。
顧客層は拡大し、ビジネスは設備納入だけでなく、部品供給、メンテナンス、ITサービスなどに多角化。

案件単価は小さくなり、代わりに対応件数と業務のバリエーションが爆発的に増加します。
顧客と最も近いのは現場であり、現場が状況判断を行い、スピード感をもって動くことが求められるフェーズです。

つまり、組織が求める文化的ミームも大きく変わるべきだったのです:

「現場判断が重要」

「迅速な対応が価値」

「情報共有と再利用」

「共通ルールと標準化」

これは、分権的で自律的な判断ができる組織文化への転換を意味します。しかし、それを阻んだのが経営者の代替わりでした。

自己顕示型の後継者とミームの崩壊

創業者と血縁の後継者は、組織の頂点に立つことに積極的ではあったものの、
「自分が決めたことを正解にしたい」という強い自己顕示欲を持っていました。

本来このフェーズでは、意思決定を現場に委ね、判断基準を共有し、
「部分最適の集合」によって全体が動くべきでした。

しかしその後継者は、全体をコントロールしたいという衝動を抑えきれず、各部門への細かい口出し、場当たり的な方針転換、評価基準の曖昧化を繰り返します。

その結果、現場に新たなミームが静かに根づいていきます:

「上の意向が読めるまでは動くな」

「どう思われるかがすべて」

「正直より空気を読むこと」

「誰も責任を取りたがらない」

つまりここには、「分権的な判断が求められる事業モデル」 × 「中央集権的で自己顕示型の経営者」という、
最悪のミスマッチが生まれてしまったのです。

残った企業文化が組織を縛る

事業モデルが変われば、必要な能力・ふるまい・評価基準も変わるはずです。
それに合わせて、文化(ミーム)も進化しなければならない

しかし、組織にとって一度うまくいった成功体験は強烈です。
そのとき根づいた文化的ミームは、「正しいもの」としてそのまま残り、
時代の変化や事業構造の転換に対して柔軟に変わることを妨げます。

これはまさに、文化が組織のDNAであるということの、もう一つの側面なのです。

次回予告:ボトムアップが生んだ「変われない組織」

次回は、逆のケースを見ていきます。

多数の顧客を抱え、現場の裁量が求められる事業モデルのもとで、
民主的でボトムアップ型の文化が育った企業。

しかし、時代が進み、IT投資や基幹システム導入など「全体最適と迅速な意思決定」が求められる中で、
その文化がかえって変われない組織を生み出してしまった事例を紹介します。

第3回:分権の文化が変革を阻む—民主的組織に潜む「変われなさ」のミーム

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