第2回:事業は変わったのに企業文化は変われなかった——創業者ドリブンが通用しなくなるとき
企業文化=ミームは、空気のように組織内に広がっていきますが、それは決して偶然に発生するものではありません。 ミームには必ず、その文化が合理的だった背景が存在するのです。
その最たる要因が、事業モデルです。 組織がどういう市場で、どんな顧客に対して、どんな提供価値を届けているか—— その構造が、ふるまいや判断のパターンを規定し、ミームを形づくります。
今回は、かつての成功を支えた事業構造と文化が、環境の変化に対応できなくなったある企業の事例を紹介します。
この企業は創業当初、特定の業界大手を相手に、大型設備を納入するB2B型ビジネスを展開していました。 顧客数は少数ながら、1件あたりの取引額が非常に大きく、プロジェクトも長期的。
こうした事業では、全体最適の視点と一貫した判断が求められます。 その役割を担っていたのが、カリスマ的な創業者でした。
彼は豊かな事業センスと直感的な意思決定力を持ち、 「これをやる」と言えば新しい設備が導入され、「これが売れる」と言えば製品が生まれ、 組織全体が一気に動き出す——そんな文化が自然と育っていきました。
このとき定着した文化的ミームは、たとえばこんなものです:
「トップの意志が最重要」
「指示があれば一気に進め」
「現場の声より経営の直感」
「挑戦すれば評価される」
こうしたミームは、当時の事業構造と完全に整合しており、合理的だったのです。
時代が進み、企業は新たな成長フェーズに入りました。 顧客層は拡大し、ビジネスは設備納入だけでなく、部品供給、メンテナンス、ITサービスなどに多角化。
案件単価は小さくなり、代わりに対応件数と業務のバリエーションが爆発的に増加します。 顧客と最も近いのは現場であり、現場が状況判断を行い、スピード感をもって動くことが求められるフェーズです。
つまり、組織が求める文化的ミームも大きく変わるべきだったのです:
「現場判断が重要」
「迅速な対応が価値」
「情報共有と再利用」
「共通ルールと標準化」
これは、分権的で自律的な判断ができる組織文化への転換を意味します。しかし、それを阻んだのが経営者の代替わりでした。
創業者と血縁の後継者は、組織の頂点に立つことに積極的ではあったものの、 「自分が決めたことを正解にしたい」という強い自己顕示欲を持っていました。
本来このフェーズでは、意思決定を現場に委ね、判断基準を共有し、 「部分最適の集合」によって全体が動くべきでした。
しかしその後継者は、全体をコントロールしたいという衝動を抑えきれず、各部門への細かい口出し、場当たり的な方針転換、評価基準の曖昧化を繰り返します。
その結果、現場に新たなミームが静かに根づいていきます:
「上の意向が読めるまでは動くな」
「どう思われるかがすべて」
「正直より空気を読むこと」
「誰も責任を取りたがらない」
つまりここには、「分権的な判断が求められる事業モデル」 × 「中央集権的で自己顕示型の経営者」という、 最悪のミスマッチが生まれてしまったのです。
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