自分の中に宇宙があるとしたら?―内側を見つめるという探求
「生命とは何か」「意識とは何か」。それは、学問的にも日常的にも語られ続けてきた問いですが、簡単に答えが出るものではありません。
私自身、修士論文に取り組む中で、この問いに本格的に向き合うことになりました。東洋哲学や仏教思想、西田幾多郎の思想に始まり、生物学、脳科学、量子力学といった多様な分野の文献に触れながら、思考の旅を続ける日々。
どの分野もそれぞれの視点で生命の神秘に迫ろうとしていましたが、読めば読むほど、生命というものは一筋縄ではいかない複雑さと深みを持っていることに気づかされました。
その一方で、私にはもうひとつの探求の軸がありました。それは、ヨガや瞑想といった実践を通して、自分の内側を静かに観察する体験です。知識ではなく、言葉にできない何かを、直接的に感じ取ろうとする時間。
そうした内的な探求と、外からの知的探究が交差する中で、あるときふと思ったのです。「もしかしたら、自分の中にも、宇宙と同じくらい深くて広い何かがあるのではないか」と。
「生命は小宇宙である」というような表現を、耳にしたことがある方もいるかもしれません。これは決してロマンチックな比喩ではなく、実際に、私たちの身体の中には、宇宙と同じように精巧で、無数の情報が循環している仕組みが存在している、ということを表しています。
たとえば、ひとつの細胞の中には、遺伝情報を記録するDNAがあり、それが膨大な指示を出して生命活動をコントロールしています。脳内では神経ネットワークを通じて常に情報がやり取りされ、私たちが何気なく感じる「感情」や「思考」は、物質的な現象と情報処理の積み重ねの中で起こっているのです。
この仕組みの複雑さ、精妙さを見ていると、まるで宇宙の縮図をのぞき込んでいるような気持ちになります。だからこそ、「生命=小宇宙」という考え方には、ある種のリアリティがあるのだと思います。
科学は、世界を解き明かすために、客観的に「外」を観察することを大切にしてきました。宇宙の起源を探る天文学や、物質の根源に迫る量子物理学、そして人間の身体を解剖して仕組みを理解する医学。私たちは科学の力によって、世界の構造を知ることができるようになりました。
けれど、どれほど身体の構造を精密に分析しても、「生きているとはどういうことか?」という問いに、完全な答えを出すことはできていません。瞑想やヨガを実践していると、こうした外側からの理解とは違う形で、自分自身の中にある「いのちの営み」に触れるような感覚があります。たとえば、ただ呼吸に意識を向けているだけでも、身体の中に静かなリズムや知性のようなものがあることに気づくのです。
科学の視点と、自分の内側で感じる感覚。そのどちらもが、生命の全体像を知るために必要なのではないかと感じています。
生命について考えるうえで避けて通れないのが「意識」の存在です。脳の中で神経が電気信号をやりとりすることで、私たちは「考える」「感じる」ことができます。でも、それだけでは「私」という意識がどこから生まれるのかは説明がつきません。
量子物理学の視点を持ち込んだペンローズとハメロフの「オーキュール理論」などでは、脳内の微細な構造の中で量子的な揺らぎが意識を生んでいるとされますが、これもまだ仮説にすぎません。
それでも、意識が生命にとって本質的な役割を果たしていることは確かです。意識があるからこそ、「自分が生きている」という実感があるし、他者との関係や世界とのつながりも感じられる。意識は、単なる生理現象以上の意味をもつのではないでしょうか。
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