マインドフルネスについて調べると、「今ここ」という言葉によく出会います。「今この瞬間に集中する」「過去や未来ではなく、今を生きる」「今ここに意識を向ける」。どれもよく見かける説明です。
では、「今ここ」とは、具体的に何をすることなのでしょうか。昨日の出来事を思い出したら、「今ここ」から離れているのでしょうか。明日の仕事について考えたら、マインドフルではないのでしょうか。
もちろん、私たちは過去について考える必要があります。経験を振り返ることも、未来を予測して計画することも、生活や仕事には欠かせません。
マインドフルネスでいう「今ここ」を理解するときに大切なのは、過去や未来を考えないことではなく、今、自分に何が起きているのかに気づくことです。
この記事では、分かるようで少し分かりにくい「今ここ」という言葉をひもといていきます。マインドフルネスという言葉の基本的な意味については、マインドフルネスとはどういう意味?「今ここに気づく」をわかりやすく解説で紹介しています。
なぜマインドフルネスでは「今」が大切にされるのか
現代のマインドフルネスでは、「現在の経験」が繰り返し重視されています。
たとえば、マインドフルネスの代表的な操作的定義を提案したBishopらは、現在の経験に注意を保つよう注意を調整することと、その経験に好奇心や開かれた態度、受容をもって関わることを重要な要素として挙げています。
※マインドフルネスの定義はこれ一つではなく、研究者によってさまざまな定義が提案されています。
呼吸瞑想を考えると分かりやすいでしょう。呼吸に伴う身体感覚へ注意を向ける。気づけば、仕事について考えている。「あ、考えていた」と気づく。もう一度、呼吸へ注意を戻す。
ここで行っているのは、「現在以外を考えないようにする」ことではありません。今、自分の注意がどこに向いているのかに気づき、現在の経験へ注意を戻していくことです。呼吸瞑想の具体的な方法は、呼吸瞑想のやり方|呼吸に注意を向けるマインドフルネスの基本で紹介しています。
「今ここ」は、過去を忘れることではない
「今を生きる」という言葉から、過去を振り返らないことをイメージすることがあります。しかし、過去を思い出すこと自体が、マインドフルネスに反するわけではありません。
たとえば、昨日の会議で言われたことを思い出しているとします。「あの言い方はひどかった」「なぜあのとき、言い返せなかったのだろう」「やっぱり納得できない」。そう考えているうちに、怒りが再び強くなってくることもあります。
このとき、考えている内容は過去のことです。しかし、「今、昨日の会議を思い出している」「思い出しながら、また腹が立ってきている」「身体にも力が入っている」と気づくことはできます。
過去について考えていても、そのことが今の自分にどのように現れているのかを見ることはできるのです。
「今ここ」とは、過去を考えないことではありません。過去を思い出している自分に、今、気づくこともできます。
なお、過去を思い出すことと、同じことを繰り返し考え続けて抜け出しにくくなることは、同じではありません。後者については、反芻思考とは?考えすぎてしまう仕組みとマインドフルネスで扱っています。
未来を考えることも、必要なこと
未来についても同じです。私たちは未来を考えなければ生活できません。予定を立てる。仕事の段取りを考える。旅行を計画する。リスクを予測する。将来について話し合う。こうしたことは、日常生活にも仕事にも必要です。
そのため、「未来を考えないこと」をマインドフルネスの目標にする必要はありません。
一方で、未来について考えているうちに、「失敗したらどうしよう」「きっとうまくいかない」「こうなったら、次はこうなって、その後は……」と、まだ起きていない出来事について考え続けることもあります。
そのとき、「今、まだ起きていないことを心配している」と気づくことができます。必要な計画をしているのか。同じ心配を繰り返しているのか。その違いに気づくこともあります。
未来を考えることをやめるのではなく、今、自分がどのように未来と関わっているのかを見る。「今ここ」は、そのようにも捉えることができます。
「今ここ」は、過去や未来を排除することではない
→ 今、「過去を思い出している」と気づく
→ 今、「未来を心配している」と気づく
→ 今、「身体にこうした感覚がある」と気づく
※考えている内容が過去や未来のことでも、それを思い出したり想像したりしていることには、今、気づくことができます。
では、「今」とはいつなのか
ここで少し不思議な問題が出てきます。「今」とは、いつなのでしょうか。一秒前は、もう過去です。一秒後は、まだ未来です。では、その間にある「今」を、一つの点としてつかむことができるのでしょうか。
実際、「present moment」は現代のマインドフルネスで非常によく使われる一方、その意味は必ずしも明確ではありません。
時間性とマインドフルネスを論じたPrimdahlは、「現在の瞬間にいること」が現代のマインドフルネスの中心的な特徴として扱われながら、「現在の瞬間」が何を意味するのかには曖昧さがあることを指摘しています。
※Primdahlの論考は、主に学校で行われるマインドフルネスを対象にした理論的な検討です。
私たちが経験している「今」は、静止した一点ではありません。音が聞こえる。呼吸している。身体の感覚が変わる。考えが浮かぶ。感情が動く。また別の考えが浮かぶ。経験は絶えず変化しています。
過去 | 今 | 未来
↑
「今」という一点に留まる
身体感覚 / 音 / 感情
思考 / 記憶 / 予測
が現れては移り変わる
↓
その動きに気づく
※時間についての理論を示すものではなく、理解を助けるためのイメージ図です。
そのため、「今ここ」を、動かない一点をつかまえるようなものとして考えるより、今まさに起き、変化している経験に気づくこととして捉える方が、実践にはなじみやすいでしょう。
「ここ」は、場所だけを意味するのだろうか
「今ここ」には、「今」だけでなく「ここ」もあります。「ここ」と聞くと、自分がいる場所を思い浮かべるかもしれません。しかし、マインドフルネスの実践で注意を向ける対象は、目の前にある物だけではありません。
呼吸に伴う身体感覚。足の裏が床に触れている感覚。周囲の音。身体の緊張。今感じている不安。頭に浮かんでいる考え。こうしたものも、現在の経験に含まれます。
つまり、「ここ」は単なる地理的な場所というより、自分が今経験している場として考えると分かりやすくなります。
たとえば、身体は会議室にいても、頭の中では昨日の失敗について考え続けていることがあります。そのとき、「今、昨日の失敗について考えている」と気づく。その気づきも、「今ここ」に戻ることの一つとして捉えることができます。自分の考えや状態に気づくことについては、メタ認知とは?マインドフルネスとの関係をわかりやすく解説も参考になります。
「今ここに集中する」とは、注意を固定することではない
「今ここに集中する」という表現から、一つの対象に注意を向け続けることをイメージするかもしれません。しかし、マインドフルネスでは、注意がそれること自体を失敗とは考えません。
たとえば呼吸瞑想をしていても、音が気になる、考えごとが浮かぶ、身体がかゆくなる、明日の予定を思い出す、といったことがあります。そのたびに、「また集中できなかった」と評価する必要はありません。
注意が別の対象へ移っていたことに気づいたら、呼吸瞑想では、そこからもう一度呼吸へ注意を戻します。
「今ここ」にいるとは、注意が一度もそれないことではなく、今、自分の注意がどこにあるのかに気づいていることです。
瞑想中に注意がそれることについては、瞑想中に雑念が浮かぶのはなぜ?注意がそれることとマインドフルネスで詳しく扱っています。
「今ここ」は、目の前のことだけを見ることでもない
もう一つ注意したいのは、「今ここ」を目の前の情報だけに注意を狭めることとして理解しないことです。
たとえば、誰かと話しているとします。相手の声を聞く。表情を見る。それだけが現在の経験ではありません。話を聞きながら、「それは違う」と思っているかもしれません。少し緊張しているかもしれません。言い返したい気持ちが生まれているかもしれません。過去にその人から言われたことを思い出しているかもしれません。こうしたものも、その瞬間に起きている経験です。
マインドフルネスでは、目の前の対象だけではなく、その対象と関わっている自分に何が起きているのかにも気づくことができます。これは、仕事や人間関係の中でマインドフルネスを考えるときにも重要な視点になります。
「今ここ」に戻れば、悩まなくなるわけではない
「今ここ」という言葉には、ときに、「過去を手放せば楽になる」「未来を心配しなければ不安はなくなる」「今だけを生きれば幸せになれる」といった意味が重ねられることがあります。しかし、マインドフルネスをそのような約束として捉える必要はありません。
過去には、考える必要のある出来事があります。未来には、準備しなければならないことがあります。今起きている問題について、考え、判断し、行動する必要もあります。そして、今の経験に気づいたからといって、不安や怒りがすぐになくなるとは限りません。
「今、不安がある」「今、怒っている」「今、このことを何度も考えている」と気づく。マインドフルネスでは、まずそこから始めます。気づくことと、問題が解決することは同じではありません。
仏教でも「現在だけ」が大切なのか
「今ここ」という考え方は、しばしば仏教と結びつけて説明されます。たしかに、仏教の瞑想実践には、現在起きている身体、感覚、心の状態などを観察する実践があります。
一方で、仏教におけるsatiを、「過去も未来も考えず、現在だけに意識を置くこと」と説明するのは単純すぎます。
satiには「記憶する」「覚えている」といった意味との歴史的な関係もあり、仏教の実践では、現在の経験への注意だけでなく、実践の方向性を見失わないことなど、より広い文脈から論じられてきました。
※satiと「記憶する」ことの関係については、Bhikkhu Bodhi(2011)などが論じています。
仏教学者Anālayoも、マインドフルネスの実践において現在を重視しながら、それを過去や未来を排除するものとしては捉えていません。
※ここで紹介しているのは研究者による議論の一つであり、仏教学の中にもさまざまな見方があります。
現在の経験に注意を向けることと、過去や未来を思考する能力を失うことは別の話です。
マインドフルネスと仏教|そのルーツと現代の実践との関係では、satiと現代のマインドフルネスの関係をさらに詳しく扱っています。
過去・現在・未来は、本当にきれいに分かれているのか
私たちの経験を見てみると、過去・現在・未来は、それほどきれいに分かれていません。
たとえば、明日のプレゼンテーションを不安に感じているとします。未来のことを考えているように見えます。しかし、その不安には、以前失敗した記憶、上司から言われた言葉、自分についての考え、身体の緊張、これから起こることの予測などが同時に含まれているかもしれません。
過去の記憶と未来の予測が、今の感情や身体感覚に影響しています。つまり、私たちが経験する「今」には、過去の記憶や未来への想像も入り込んでいます。
だからこそ、「今ここ」を、過去・未来を切り離した純粋な現在として探そうとすると、かえって分かりにくくなることがあります。
今この瞬間に、自分の経験の中で何が起きているのか。そこを見る方が、マインドフルネスの実践にはつながりやすくなります。
日常で「今ここ」に気づくとは
特別なことをしなくても、「今ここ」に気づく機会はあります。
- パソコンで仕事をしているとき。同じ文章を何度も読んでいることに気づく。「今、別のことを考えていた」と分かる。
- 会議で誰かの話を聞いているとき。相手が話し終わる前から、自分が反論を考えていることに気づく。
- 駅まで歩いているとき。足の裏の感覚や、周囲の音に気づく。
- 家に帰っても仕事のことを考えているとき。「まだ頭の中で仕事を続けている」と気づく。
どれも、「今だけを考えよう」と努力しているわけではありません。今、自分の注意がどこに向き、何を経験しているのかに気づいています。
このような小さな気づきが、「今ここ」という言葉を具体的な経験として理解する手がかりになります。仕事中の注意の向き方については、仕事に集中できないのはなぜ?マインドフルネスと注意の切り替えでも扱っています。
「今ここ」は、目的地ではない
「今ここにいなければならない」と考え始めると、マインドフルネスそのものが新しい評価基準になることがあります。「また過去のことを考えてしまった」「未来の心配ばかりしている」「全然、今ここにいられない」。そうやって自分を評価し始めると、「今ここ」が達成しなければならない理想の状態になってしまいます。
しかし、注意が過去や未来へ向いたことに気づいたなら、その気づきもすでに現在の経験の中で起きています。
過去へ行かないこと。未来へ行かないこと。ずっと現在にとどまること。それを目標にする必要はありません。
「今ここ」は、とどまり続ける場所ではなく、今起きていることに気づくための視点として捉えることができます。
まとめ|「今ここ」とは、今の経験との関わり方
マインドフルネスでよく使われる「今ここ」という言葉は、一見すると分かりやすい表現です。しかし、それを「過去を考えない」「未来を考えない」「目の前だけに集中する」「注意をそれさない」という意味にすると、マインドフルネスの実践はとても窮屈なものになります。
過去を振り返ることもできます。未来を計画することもできます。その途中で、注意が別のところへ移ることもあります。
大切なのは、今、自分に何が起きているのか。そこに気づくことです。
過去を思い出しているなら、そのことに気づく。未来を心配しているなら、そのことに気づく。身体が緊張しているなら、その感覚に気づく。誰かの言葉に反発しているなら、その反応に気づく。
そう考えると、「今ここ」は、過去や未来から逃げ込む場所ではありません。現在という一点に自分を固定することでもありません。
今まさに起きている経験と、どのように関わっているのかを見ること。それが、マインドフルネスにおける「今ここ」を理解する一つの方法です。
