仕事で厳しい指摘を受けたとき、「否定された」「自分は評価されていない」と感じ、頭の中でその言葉を何度も反芻する。あるいは、新しい仕事に挑戦したいと思いながら、「失敗したらどうしよう」という不安が強く、なかなか一歩を踏み出せない。
こうした場面で、思考や感情を消すことができなくても、私たちにはもう一つできることがあります。今、自分の中で何が起きているのかに気づき、そのうえで、次にどう行動するかを選ぶことです。
このような力を捉える概念の一つが、「心理的柔軟性(psychological flexibility)」です。
心理的柔軟性とは?
心理的柔軟性は、ACT(Acceptance and Commitment Therapy:アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の中心的な概念として発展してきました。ACTでは、目の前で起きていることや自分の内側の経験に気づきながら、その状況と自分が大切にしたいことに応じて、行動を続けたり、変えたりできることを心理的柔軟性として捉えます。
ポイントは、嫌な感情をなくすことでも、いつも前向きに考えることでもありません。不安や怒り、迷いがあるままでも、それだけを理由に行動が決まってしまわないことです。
思考や感情を含む現在の経験に気づきながら、その場の状況と、自分が大切にしたいことに応じて行動を選べること。
そのため、「柔軟」という言葉には、いつも行動を変えるという意味もありません。状況によっては続けることが適切な場合もあれば、やめる、断る、助けを求める、別の方法を試すことが適切な場合もあります。
「柔軟な思考」とは少し違う
心理的柔軟性という言葉から、「いろいろな考え方ができること」「発想を切り替えられること」を思い浮かべるかもしれません。もちろん、それらと重なる部分はありますが、心理的柔軟性は思考の柔らかさだけを指す概念ではありません。
発想を切り替える
複数の可能性を見る
それらがあっても状況を見る
大切にしたいことに沿って行動を選ぶ
たとえば、「この仕事は絶対に失敗する」と考えているとき、無理に「きっとうまくいく」と考え直すことだけが柔軟性ではありません。「失敗すると思っている」「不安を感じている」と気づいたうえで、それでも準備を進めるのか、誰かに相談するのか、計画そのものを見直すのかを選ぶ。心理的柔軟性が扱うのは、こうした内面との関わり方と行動の選択です。
ACTでは、心理的柔軟性を6つのプロセスから捉える
ACTでは、心理的柔軟性を一つの能力として単純化せず、互いに関連する6つのプロセスから捉えます。Hayesら(2006)が整理したモデルは、六角形の図から「ヘキサフレックス」とも呼ばれます。
これらは、順番に一つずつ達成する段階ではありません。実際の場面では重なり合いながら働きます。たとえば、不安に気づき、その不安を無理に消そうとせず、「失敗する」という考えと少し距離をとり、自分が大切にしたい方向を確認して行動する、といった具合です。
マインドフルネスと心理的柔軟性は同じもの?
マインドフルネスと心理的柔軟性には、かなり重なる部分があります。今この瞬間に注意を向けること、思考や感情に気づくこと、それらをすぐに排除したり判断したりせずに経験することは、心理的柔軟性を構成するプロセスとも深く関わっています。
ただし、両者は同じ概念ではありません。心理的柔軟性のモデルには、現在への気づきやアクセプタンスだけでなく、価値を明確にし、その方向へ行動することも含まれています。
つまり、マインドフルネスによる気づきは、心理的柔軟性の重要な一部になり得ますが、それだけで心理的柔軟性のすべてを説明するわけではありません。
心理的柔軟性を仕事の場面で考える
たとえば、会議で自分の提案に厳しい意見が出たとします。瞬間的に「攻撃された」と感じ、腹が立つことはあります。その感情自体をなくす必要はありません。
一方で、「腹が立っている」「相手を否定したくなっている」と気づければ、その反応だけに押されず、次の行動を選ぶ余地が生まれます。意見の根拠を聞く、自分の考えを説明する、いったん持ち帰って検討する。何を選ぶかは、その場の目的や関係性によって変わります。
心理的柔軟性は、「正しい反応をする能力」ではありません。自分の内側の反応に気づきながら、その場の状況に応じて選択肢を持てることです。
この点は、仕事とマインドフルネスや、マインドフル・リーダーシップで扱っている「反応する前に気づく」という考え方ともつながります。
柔軟性は「我慢して適応すること」ではない
職場で心理的柔軟性を語るとき、注意したい点があります。柔軟であることは、どんな環境にも自分を合わせることではありません。過剰な仕事量、ハラスメント、不合理なルールなどがあるときに、「自分の受け止め方を変えればよい」と本人だけに適応を求めるのは、心理的柔軟性の考え方とは異なります。
状況をよく見るからこそ、「これは自分だけで抱える問題ではない」と判断することもあります。上司や周囲に相談する、境界線を引く、業務の進め方を変える、組織として仕組みを見直す。場合によっては、その環境から離れることも選択肢になります。
心理的柔軟性は、個人がつらい環境に耐え続けるための力ではありません。個人の反応と同時に、仕事の設計、関係性、マネジメント、組織環境にも目を向ける必要があります。
この視点は、マインドフルネスと組織開発で扱っている、個人だけでなく関係性や組織を見る考え方とも共通します。
研究では何が分かっている?
心理的柔軟性はACT研究の中で長く検討されてきました。近年は、心理的柔軟性そのものを一つの尺度だけで測るのではなく、アクセプタンス、認知的フュージョン、現在への気づき、価値に沿った行動など、複数のプロセスに分けて検討する研究も増えています。
Turk & Altınok(2026)は45研究、計16,316人を対象に、マインドフルネスと心理的柔軟性の関連をメタ分析しました。全体では中程度の正の相関(r=.44)がみられました。一方、研究間のばらつきは大きく、使用する尺度によって関連の強さも異なっていました。両者は関連していますが、完全に同じものではないと捉えるのが適切です。
Macri & Rogge(2024)は67の研究、計9,123人をまとめ、ACTによる介入が心理的な非柔軟性を低下させ、柔軟性の複数の側面を高める傾向を報告しました。また、それらの変化は心理的苦痛の低下とも関連していました。ただし、対象や測定方法によって結果は異なり、どのプロセスがどのように変化をもたらすかは、さらに検討が必要です。
Radら(2025)は、職場で実施されたACTプログラム30試験を系統的にレビューしました。その結果、認知的フュージョンから距離をとることについて最も一貫した知見があり、現在への気づきとアクセプタンスについても比較的安定した改善が報告されました。一方、価値やコミットされた行為については結果が一貫せず、測定上の課題も指摘されています。
これらの研究は、心理的柔軟性を「一つの能力」として単純に扱うより、複数のプロセスとして見る必要性を示しています。また、マインドフルネスとの関連は確認されていますが、相関があることから「マインドフルネスをすれば心理的柔軟性が高まる」と単純に因果関係を結論づけることはできません。
日常で心理的柔軟性を考える3つの問い
心理的柔軟性は、特別な場面だけで必要になるものではありません。反応に迷ったとき、次の三つの問いから自分の状態を見てみることができます。
- 今、自分の中で何が起きている?
感情、身体感覚、考えていること、行動したくなる衝動に気づきます。 - その考えを、事実や命令として扱っていない?
「失敗するかもしれない」と考えていることと、「失敗する」と決まっていることを分けてみます。 - この場で、自分は何を大切にして、どう行動したい?
状況を踏まえ、続ける、変える、話す、待つ、助けを求めるなどの選択肢を考えます。
ここで大切なのは、常に落ち着いた答えを出すことではありません。迷いや不安が残っていても、そこに気づきながら行動を選ぶこと自体が、心理的柔軟性という考え方に近いものです。
まとめ|心理的柔軟性では、選べる行動に目を向ける
心理的柔軟性とは、いつも前向きでいることでも、どんな状況にも合わせることでもありません。思考や感情が生じていることに気づき、それらがある中でも、その場の状況と自分が大切にしたいことに応じて行動を選べることです。
心理的柔軟性やACTのアプローチでは、思考や感情の内容を直接変えることそのものを主な目標にはしません。まず、それらに気づき、必要以上に巻き込まれず、状況や自分の価値に応じて行動を選べることを重視します。
その過程で、物事の捉え方が変わったり、思考や感情そのものが変化したりすることもあります。大切なのは、思考や感情を思い通りに変えられるかどうかだけに焦点を置くのではなく、それらがある中でも、次にどのような行動を選べるかに目を向けることです。
